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高山簡易裁判所 昭和31年(ろ)44号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は

被告人は、いずれも自己の放牧の邪魔になるという理由で

第一  昭和三〇年一〇月ごろ、岐阜県大野郡高根村大字日影蜂ヶ尻所在、同村大古井部落民の共有物で、その共同維持管理にかかる牧柵約二〇余米を破壊焼却し

第二  昭和三一年五月一七日ごろ、前記所在、前記大古井部落民の共有物で、その共同維持管理にかかる約一〇余米の牧柵の針金をペンチで切断したうえ、同牧柵を破壊し

もつていずれも牧柵としての効用を失わしめたものであつて刑法第二六一条に各該当するというのである。而して右の各公訴事実に対しては、中木初雄外三名の昭和三一年五月二五日付検察官に対する告訴状により、告訴がなされている事実が認められる。

二、そこで、右の各公訴事実につき、当裁判所が審理した結論から先に述べると。

(一)  右の第一公訴事実については、証人森平常吉、黒木秀秋、的場熊吉、荒畑安太郎、東本寿美義、中木初雄、黒木重雄、水本力造、中岡甚次浪らの各証人尋問調書記載中、被告人自らが「昨年も焼いてこわした」趣旨を右第二公訴事実記載の犯行に際し、放言したから、被告人が牧柵を焼却破壊したのであろう。という旨の供述記載があるだけであつて、これをもつてしては右の公訴事実を認めることはできず、他に証拠はない。

(二)  右の第二公訴事実については、被告人の当公廷における供述、裁判所の検証調書並びに前顕各証人尋問調書記載等により、被告人は、昭和三一年五月一七日正午過ぎごろ、岐阜県大野郡高根村大字日影蜂ヶ尻(番地不詳)において、同所在の牧柵のうち三個所の針金を所携のペンチで切断し、その部分の横木を地上に転落せしめたこと及び右牧柵は、同村大古井部落民中木初雄外十数名が、付近に自生する雑木を伐り倒し、右雑木を針金で緊縛して設置したものであることが認められるが、右被告人が転落せしめた牧柵の長さは全部のうちの一部であつて、九・二五米に過ぎないから、牧柵全部の所有権が、大古井部落民中木初雄外十数名の所有に属するかどうか、かつ、右の者らの共有物であるとしても起訴状記載のように牧柵の効用を失わしめるに至つたかどうか、当公廷に顕出せられた全証拠を検討してみるに甚しく疑問といわなければならず、結局犯罪の証明が不十分である。

(以下争点となるのは、第二公訴事実であるから右の事実についてのみ述べることとする。)

三、先ず当裁判所が証拠により認めた本件牧柵の位置、構造、使用の目的及び利用関係等について明確にする必要がある。

(一)  本件牧柵は、高山市の東南約五五粁の県道から約一一粁の林道、牧道を経てようやく到達できる山中にあり、その付近一帯は、草根木皮(わらび根)の採集と主として牛の放牧が行われている原生自然林で、わらび根の採集権と放牧の権利を廻つて、近年は紛争が絶えず、その権利関係は相錯綜し、復雑で、かんたんに見極めることが困難な実情にある。(証人上田兵栄の証人尋問調書記載参照)

(二)  本件牧柵は、前記認定のとおり、付近に自生する「ナラ」「カツラ」「サクラ」「カバ」等の雑木を伐り倒し、これを丸太のまま、あるいは割木として、高さ約二米の棒杭に、横に三、四段に渡し、これを針金で結んだ粗末な柵であつて、その型状は、片仮名の「ロ」の字を二つ並べたような型をなし、その東側に「道後林道」が南北に走り、西側は雑木林である。

右の片仮名「ロ」の字の北側の「ロ」の字部分は、被告人の所有に属することが明白であつて、前記認定のとおり、被告人が横木を転落せしめた部分は、南側の「ロ」の字型の東側林道ぞい部分の牧柵である。(本件では南側の「ロ」の字型の牧柵の所有権が問題となる。)

(三)  本件牧柵の使用、利用関係は、右の北側の「ロ」の字型(以下Bの牧柵と略称する)を被告人において使用し、南側の「ロ」の字型(以下Aの牧柵と略称する)を大古井部落民が使用していたことは争いがないが、大古井部落民が単独利用していたものとは思えず、右二個の牧柵の接続部分に、入口が存すること(検証調書見取図(2)の図中②と表示してある部分)から考えて、後記認定のとおり、被告人の供述のように、被告人が利用使用していたところ、大古井部落民に共同利用を認めたのに過ぎず、AB二個の牧柵は、Aの牧柵を「追込みきゆう舎」として、放牧中の牛をこの柵のなかに追い込んで集合させ、識別のうえ、選び出し、これを前記②の入口を通つてBの牧柵のなかに入れ、つないでおくためにあるもので、A、B二個の牧柵が相まつてその効用があつたこと従つて、前顕各証人調書記載のように、Aは大古井部落民のための、Bは被告人のための各追込みきゆう舎であつたというのは真実に反し、Bは被告人の「つなぎきゆう舎」として利用、使用されていたものと認めるのが真実でなかろうか。そうすると、被告人の経営する上田牧場が本件牧柵の東側に存することから考え、Aの牧柵は「ロ」の字型ではなく、(検証時はロの字型であつた)当然「コ」の字型で、放牧牛を追込むための入口に相当する部分は入口として木柵を作らずに、空けておく必要があつたのではなかろうか。

四、本件A、B二個の牧柵の所有権は、この付近一帯における放牧の権利の変せんに伴い、その帰属者を変更したものであつて、被告人は、その経営する上田牧場に放牧しておく牛の「追込み」「つなぎ」のために使用していたところ、昭和二四、五年ごろから、一たん放牧を中止していた大古井部落民が、その自家の牛を放牧し、それを追込むためにAの牧柵を使用していたこと、たまたま、被告人が本件牧柵の所在する付近の土地、蜂ヶ尻三九二番地をその一と二とに分筆し、その二の二反五畝の所有権を取得し、大古井部落がその一の土地の所有権を取得したので大古井部落民は被告人の所有に帰した三九二番地の二の土地は、「道後林道」の東側であつて、Aの牧柵の存する土地は、三九二番地の一であるから、右Aの牧柵は当然大古井部落民の共有に属するという主張をなし、Aの牧柵のうち前記被告人のための入口であつた空白部分を塞ぎ、自分らの主張する土地の境界を確保しようとしていたことが推測に難くない。それで、大古井部落民が付近に自生する雑木を伐採して、この空白部分(被告人にとつては入口)に木柵を施したのを、被告人はその部分を壊わしたのが、本件事案の真相である。(ただし、Aの牧柵が三九二番地の一に存するか、二二に存するか不明である。)

五、してみると被告人に対する公訴事実の牧柵は、その全体から観察すれば、一極少部分に過ぎず、その所有権の帰属を考えるときは、全体としての牧柵の所有権の帰属から判断すべきが相当であると解せられるところ、大古井部落民が設置したのは、Aの入口の空白部分であつて、本件牧柵全部を大古井部落民が設置構築した事実、または、その所有権を取得するに至つた事実を認めるに足りる証拠がない以上、大古井部落民の共有物であつたと認めることはできない。(もつとも、本件事件発生後大古井部落民が設置したものと窺われる牧柵は存在するが、本件発生当時の昭和三一年五月ごろに、大古井部落民が設置構築した牧柵は、前記認定のとおりである。)

そうすると、被告人の当公廷での供述、裁判所の検証調書並びに弁第三号証を併せ考察すると、本件牧柵AB共、その所有権は被告人に属するものと認められるから、その一部分につき他人が木柵を作つたところで、特段の事情のない限り、その全部については勿論、その一部分について他人の所有に帰属するに至るものとは考えられず、特段の事情のない本件において、到底大古井部落民の所有であることは認められない。

六、仮に右の一部分についてのみ大古井部落民の所有権が存在すると仮定してみても、被告人が牧柵の効用を害するに至つたか、どうかは頗る疑わしい。すなわち被告人が大古井部落民が施工した牧柵の針金をペンチで切断し、その横木を転落させたことは、明白であるが、牧柵の効用は、失張り牧柵全体から考察しなければならず、大古井部落民としてその施工部分の効用は、それ自体としての効用、目的、存在価値があることを否定するものではないが、本件牧柵全体としての効用は、上田牧場のための「追込み」用のものであり、入口部分を塞がれたのでは、その効用が却つて害せられるのであり、逆にいえば、塞がれた部分を除去しなければその効用が失われるものである。そのことは、前述の「つなぎきゆう舎」との相関々係から考えても自明の理である。況んや、被告人の経営する上田牧場は、その塞がれた部分に面した東側に存在するにおいておやである。他方被告人の行為により、大古井部落民が牧柵のなかに収容していた牛馬が散逸逃亡してしまつたという事実もないから、本件牧柵全部についての効用を失わしたものと認めることはできない。

七、法は一般に自力救済を許さず、正当防衛、緊急避難行為等に該当する場合に限つてのみ違法性阻却の事由とするだけであるから、本件の場合にも自力救済は許されないという議論も成立するので(被告人の検察官に対する供述調書参照)この点につき付言すれば、上来認定したように、被告人は、所携のペンチで、棒杭と横木とを緊縛してあつた部分の針金を三個所にわたり切断したものであるが、告訴状添付写真記載のように、棒杭、あるいは横木を数個所において伐り倒したと認めるに足りる証拠はなく、また、中木初雄ら多数の者のいる面前で、しかも、これらの者らが被告人を押し止めようとしている最中、被告人単独で、右写真記載のようなことをしたとは到底推測できない。そうすると、被告人がペンチで針金を切断し、横木を地上に転落させたものであつても、その数量は極く僅少であることは推察に難くなく、右の状態から原状に回復するに要する労力も取るに足りないほどの僅少ですむものといえよう。しかも本件牧柵の存する位置は、前記認定のとおり、文字どおりの山間へき地で、現場に赴くだけでも高山市から二日を要するのであるから、いわゆる「期待可能性」の理論を援用するまでもなく現時のいわゆる「一厘事件」として被告人の行為は社会通念上違法性のないものといえる。

八、これを要するに、本件各公訴事実は、いずれもその犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三三六条を適用し、被告人を無罪とすることとし、よつて主文のとおり、判決する次第である。

(裁判官 加藤広国)

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